①玉木家の由縁について
出雲国野木の郷に住した佐々木四朗高綱(9代)の次男光綱が改姓し野木光綱(10代)と称す。 野木清隆の長男秋綱(21代)が但馬国乃木谷に住し乃木と改姓する。 乃木伝庵(26代)は長府藩主毛利綱元に仕える藩医(禄高300石) 長男政春が、勲功をあげた母の雅号たまきにちなんで玉木姓を興す。(玉木初代)毛利元重公の小姓役として召し抱えられ元禄15年に毛利本家萩藩の家中となる。 ②玉木家七代文之進正韓 杉七兵衛常徳三男で、文政三年(1820年)11歳で玉木家を養子相続する 玉木文之進正韓は、毛利本家萩藩に仕え、藩学明倫館塾頭、山城代官、郡奉行等を奉職する。天保13年(1842年)、33歳で萩松本新道の自宅に塾を開き子弟の教育に従事する。これを松下村塾と称する。(玉木文之進旧宅は松下村塾発祥の地として保存されている)。 その後、安政4年(1857年)に杉家宅を補修して吉田松陰が教育した期間に多数の逸材を輩出したことは有名。 松下村塾は松陰刑死の後も明治に入ってから玉木文之進や杉梅太郎などによって続けられたが、江戸から明治に移って国学の需要がなくなり明治中期に閉じることになる。(こちらについては別途説明) 玉木文之進は明治9年11月6日、門下生の前原一誠や養子玉木正誼の萩の乱の責任をとり先祖の墓(玉木家墓所)の前で自刃した。介錯をしたのは松陰の妹児玉芳子(杉千代)だったという。 ③玉木彦助正弘(1841年~1865年) 玉木文之進正韓と辰子(国司六郎右衛門長女)の子。吉田松陰の従弟。長じて、高杉晋作に従って正論党に入り、俗論等の政権下にある藩軍と戦い、元治2年美弥郡絵堂において戦死する(一説には自刃)彦助に関してはもう少し調べたい。 ④玉木真人正誼(玉木八代)1854ー1876 乃木十郎希次と寿子四男として長府藩上屋敷で生まれる。安政5年(1858年)長府転居(藩主跡目相続紛争に巻き込まれたための希次の降格蟄居) 慶応2年(1866年)13歳で玉木文之進家に養子として入籍 明治7年21歳で杉民治(梅太郎)長女豊子と婚姻。 明治9年前原一誠の乱(萩の乱)に与して明治9年10月31日萩小橋筋において戦死。 乃木希典と玉木正誼の兄弟の義絶の際の水盃の話は有名。萩の乱に関して、別途詳述。 乃木希典は若い時代、吉田松陰の叔父にして師である玉木文之進の元に寄寓して薫陶をうけ、山鹿素行と吉田松陰に私淑している。乃木希典、26歳の明治7年、陸軍卿伝令使となる。明治8年には、熊本鎮台歩兵第14連隊心得となる。 More #
by agnestokiostudio
| 2013-05-22 06:18
| 家族史
1.松下村塾の誕生
1-1玉木文之進時代 1(1842-1848) 天保13年(1842年)玉木文之進正韓が33歳で自宅の一隅で始めた。杉家の宅地内に小さな一屋を構えていたが、天保10年、空き家だった松陰の養子先吉田宅を借りて住んだ。 御蔵元順番検使役職を免職(部下の不正横領の責任を問われた)し無役二なっていた時に始めたという。 松陰や梅太郎のほか松陰の兵学門下生など同年代の青少年が通っていた。 天保14年10月開塾一年後八組証人役になり公務に戻る。 弘化4年正月御手当奉行宍戸孫四郎手元役から徐々に仕事が変わっていくが、嘉元元年(1848年)12月明倫館都講になってから公務が連日になり教鞭をとることが難しくなり、自然消滅したと思われる。 1-2 久保五郎左衛門(1848?-1858?) 松陰の外叔父久保五郎左衛門は弘化元年(1844年)41歳のとき隠居になり、自宅の一隅で近所の子供を教えていた五郎左衛門が名称を受け継いだ。松下村塾の名称をいつから使ったかは不詳。 読書、詩文、習字などを教える寺子屋のようなものと思われる。 1-3 吉田松陰(1856-1858) 久保五郎左衛門と重なっている時期に安政3年(1856年)3月幽室からはじまって、安政4年11月には杉家内の廃屋を補修して塾舎ができる。幽閉中なので表向きは塾生を久保五郎左衛門、教師を野山獄で知り合った富永有隣としている。 久保塾の手習場は並行して行われていた。 安政5年(1858年)12月26日野山獄に松陰が向かうことで終わる。 More #
by agnestokiostudio
| 2013-05-22 06:13
| 家族史
先祖に明治維新や明治の日本に尽力した人が出た家族で、そのことにプライドがある人だった。自分たちに特別の才能がなくても人より優れていると思っているところがあった。父の兄姉たちも同じような考え方だと思う。
私は自分が同じ親戚なのに、そのサークルに入れたくないと明らかに思われる扱いを受けた。 父はもともと金銭感覚が少しおかしく、派手好きで子供の時から家計は苦しく、大学入学してまもなくアルバイトをしていかないと学生を続けられないほど実家は緊迫した状態になった。当時で毎月6万円から10万円ほど(地元の学習塾や小学生の家庭教師他)のかけもちをして、身の回りのことやその他の費用をねん出した。母は生まれて初めて働きに出て生命保険の外交を続け学費や生活費を作った。卒業して就職して間もなく、父が少額ではじめたオフィスコーヒーの事業がすぐに破たんをきたした。自宅にはその後何年か不安を抱える状態が続き、他の友人が楽しい時期が暗かった。 27歳で新聞広告をみて外資系金融のトレーニーに応募したのも背景に経済的不安があったからだ。 その後家の中のゴタゴタした状態から逃げるようにイギリスに留学する。それまで貯めたお金を全て使い果たして実家が管財人の管理下になった状態で戻ってくる。絶望の中で丁度隆盛をみせはじめた、デリバティブのマーケットの管理の仕事に入ってくる。 あの時、留学していなかったら、また家がなくなっていなかったら、その後20年にもわたって金融の仕事を続けなかったと思う。今までと全く違う価値観。信用できるのは自分だけ。人の言ったことはすべて精査してからでなくては取り入れるべきではない。この環境に慣れるのに3年くらいかかったと思う。その中では信用すべき人の見方も学んだ。 自立しだすと同時に、古い価値観を持った養父の伯父とは反りがどんどん合わなくなっていった。 父は失踪したまま、母と他の女性と生活していることが何年かたってわかる。そして母との離婚を要求してきて、母は何も要求せず離婚に応じた。母の中では子供は自分の所有物という観念なのか、私には経済的な負担を強いている。というか、その当時の私にとってはやはり母に精神的な依存を求めていて相互依存の共生ができあがっていた。 全くのゼロベースで生計をたてることはとても大変なことだった。 #
by agnestokiostudio
| 2013-04-14 12:43
| 家族史
玉木本家300年展 下関図書館で7月から 2007年6月4日(月)掲載 (山口新聞ニュースダイジェスト) 萩の松下村塾創始などで知られる玉木家本家が第10代の玉木正光氏(90)=神奈川県在住=で断絶と決まったのを受け、玉木氏と30年近い交流のある下関市の水石研究家、中市石山さん(74)=長府宮の内町=が、7月7日から市立下関図書館で「玉木本家断絶経緯展」を開くことになり準備に追われている。 展示するのは玉木本家7代から10代までの写真や略記、9代の遺品、玉木家と吉田松陰の出た杉家、乃木希典の乃木家とのかかわりが分かる家系図など。 中市さんは、台湾の日本人墓地にあった乃木希典の母の墓石をめぐる調査がきっかけで、28年前に正光氏と親交が生まれた。1985年に正光氏の妻あい子さんが亡くなった際には、歴史的に重要な場所にある玉木家墓所にふさわしいものをと依頼され、各地に出向いて墓石を探した。 膨大な資料を前に、中市さんは「乃木家の親族代表でもあった玉木家断絶は残念な限りだが、長州の歴史の一翼を担った玉木家を広く知っていただくためにも、少しでもたくさん展示したい」と話している。 ネットで検索していたらこんな記事をみつけた。 自分が今ここに居るのは先祖のおかげかもしれないけれど、名前と心中したくない。 私は私だと思う。家制度は崩壊しており、世代間でお互いが支えあうのでなければますます存続することはできないだろう。 人間関係はギブ&ティクというと世知辛いと思う人もいるだろうが、人が自立して大人になるために、必死にならないと生きていけない時期もある。今、自分の生活をおちついて気持ちに余裕がでてくれば受け入れられることもあるかもしれない。 先祖と自分を同一視しているのか、自分以外のことを考えられないのか今はひたすら気の毒な人たちだと思う。 #
by agnestokiostudio
| 2013-04-14 12:14
| 家族史
「自然派」とよばれるワインは、有機、ビオディナミ、サスティナブル(フランス:リュット・レゾネ)、天然酵母、ノンSO2など、さまざまなキーワードがあります。
しかし、、生産工程のすべてを貫く「より自然な姿のワイン」とはどういうものなのか、しっかりした議論の上にその全体像が提示されるべきでしょう。 大別すると、統合農法、有機農法、ビオディナミの3つが存在する。 1)統合農法 サスティナブル、リュットレゾネなどとよばれる穏健な手法で、農薬を使用する。 農薬や調剤の散布回数や銅の使用を減らすという点で、有機農法やビオディナミより環境負荷が少ない 2)有機農法とビオディナミ 両者には共通した点も多い。どちらの農法も環境に配慮し、廃棄物(ブドウの絞り粕や剪定の枝など)の中 に含まれている栄養分を土に返し、再利用が可能な栽培方法を奨励している。つまり自然のメカニズムを促 進し手助けするような形の栽培を行っていく。化学薬品、除草剤、化学肥料、成長ホルモン、抗生物質の利 用や遺伝子組み換えなどは一切行わない。 ビオディナミ農法は有機栽培をさらに強化したものと言えるかもしれない。ビオディナミ農法の基本は生物 学的多様性、人間と植物、天体とのバランスを研究することにある。つまり天体があたえる影響とともに土壌 が持っている自然の力を最大限に引き出すことに力を注ぐのである。畑で作業を行うときは、化学薬品など を一切使用せず肥料も必要最小限の利用にとどめる。これにより植物がもともと持っている免疫力を高め、 健康で“自立”したものに育てていく。 また栽培家たちは、月齢カレンダーに従って作業し、モスト(果汁)の発酵にはもともと果皮に含まれている 自然酵母で行うなど、すでに古くから知られている方法を使っている。また二酸化硫黄の使用も重要なテー マである。二酸化硫黄を全く加えない生産者もいれば、ごく少量を加える生産者もいる。これはそれぞれの 生産者の考え方によって多少の違いがある。 しかし、有機農法また更に進んでビオディナミ農法に転換するには労力とリスクが増大するので、その生産 者の情熱に頼ることが多い。 参考文献 オーストリアワインの魅力 (新自然派ワインを求めて)岩城ゆかり著 柴田書店刊 #
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| 2013-04-05 14:56
| ワイン
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